「震災復興」時代の政策法務(鈴木庸夫)

2011.5.11

未曾有の大震災で被災された方に心よりお見舞い申し上げると同時に、亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

今回の大震災は、日本の法律文化を大きく転換するものと思います。多くの日本人は今、被災地の復興のために、自分は何ができるかを自問自答し、自己中心的な価値観を転換しつつあります。自然の脅威の前に、人間がいかにちっぽけなものであるかを自覚し、「生かされている」ということを実感しているのではないでしょうか。そして、ひとりでは何もできないことを肌で感じ、仲間がいなければ自分の生存すら危ういことを思い知らされているのだと思います。日本人の意識の古層にある、自然を愛し、家族や地域の共同体の中で暮らしていくことの大切さがこれから強調されていくことでしょう。

世界は、これほどまでの震災を受けながら、コンビニやスーパーで整然と並んで頑張る日本人に驚きの目を注いでいます。しかし、これこそが日本人の原点であり、日本人の美徳です。ネット上で乾電池を2万円で売りに出した会社が袋だたきに遭っています。

しばらくの間は「いのち」をめぐる災害との攻防が続くでしょうが、一段落すると、生活の見直しが出てきます。電気やガソリンに頼り切りの生活がいかに危険であるか、また生活物資を全く他人任せにしてきた日常を見直す動きが急激に強まるでしょう。その後には、社会のいろいろな制度の見直しが待っています。住民基本台帳ネットワークが、被災した人々のいろいろな証明に役立っているようです。これでプライバシーを盾に最高裁まで争われた住基ネットに対する批判もなくなるでしょう。

時代は大きく変わります。権利よりも義務を強調する意見が強まります。つまり法制度も、自分の権利よりも個々人の義務がどのようなものであるべきか、個々の市民や住民が社会のために何ができるのか、そうした社会貢献や行政との協働を阻害するような制度はどのように修正されるべきかが、今後の政策法務の中心的課題になると思います。

これからは、多くの日本人が、日本人であることの誇りを持つような教育を受け、共同体あっての自分を意識するようになると思います。被災地の子どもたちは、そうしたことを現に経験し、多くの教訓を身をもって体験しています。炊き出しをしている女子高校生や高齢者の介護をしている若者たちが、これからの日本のリーダーになっていくのは間違いないでしょう。

こうした経験は、敗戦に打ちのめされていた戦後復興期に似ています。ただし、敗戦直後は、多くの日本人が政府や行政に対する強い不信感から出発していました。今度の震災以後は、むしろ行きすぎた消費者主権や個人の自由を認めていた社会のあり方にその批判が向くでしょう。社会哲学においては、個人の自由を強調するリバタリアンと共同体を強調するコミュニタリアンの対立がありますが、今後20年くらいは、コミュニタリアンの主張が強く出てくるのではないかと思います。こうした中で、地方分権のあり方、道州制なども大きな課題となって論じられることになります。地方分権一辺倒の政策法務も新しいよそおいが求められることは必然です。日本の法律文化は大転換の地点に立っています。「震災復興」、「新しいこの国のかたち」が法律の世界でも大きなキーワードになると思いますが、どうでしょうか。

千葉大学大学院専門法務研究科教授
鈴木庸夫

※この文章は『政策法務Facilitator』Vol.30(第一法規、平成23年4月25日発行)「巻頭言」に掲載されました。